志村けんさんの訃報を聞いて

昨日朝のTwitterで志村けんさんの訃報を知った。

自分はガッツリ
ドリフ世代だ。

子供のころから志村けんさんの笑いに育てられた。
カトちゃん・ケンちゃんと言えばヒーローだった。

志村けんさんのドリフデビューは 1974年
荒井注さんの穴を埋めるべく24歳の時にドリフに加入した。

記憶が確かなら、転校生役で教室コントがドリフでの
一番最初のコントではなかったろうか。

荒井注の「なんだ?バカヤロウ!」
から全く違った、志村けんのコントを日本中が注目していたはずだ。

とにかくめちゃめちゃ面白かった。

志村けんさんのコントは
一気に子供心をわしづかみにした。

東村山温度
ひげダンス

次々繰り出されるコントは
毎週、月曜日の教室でも常に話題だった。

みんなで真似して盛り上がったのが
すでに40年以上も前のこととは思えないほど
まったく色あせないのだ。

志村さんの言葉の中で、最も印象に残っているのが

 恵まれてみえる人はみな必ず努力していることだ。例外なくね。

誰もが思いつきそうなことを、人より鼻の差ぐらい先を見越して、現実化すればいいんだ。
「鼻の差ぐらい」がポイント。それ以上先でも、それ以下でもダメ。

このふたつは特に印象深い。

ブログ、Twitter、YouTubeというメディア運営と
全く同じだ。

特にクリエイティブな仕事に携わっている人には
響く言葉だと思う。

お笑いも、メディア運営も全ては相手を自分との位置関係が大事だ。

優れたコンテンツ、記事はそれ単体で存在するわけではなく、
常に

「誰ににとって」面白いのか?
「誰にとって」役に立つのか?

が必要で、ココを考えないと、無意味な独りよがりの情報発信になってしまう。

きっと志村さんは
この「誰にとっての鼻先ぐらい」をずっと、悩み、模索し続けてコントを生み出し続けていたんだろうと思う。

24歳でドリフターズに入団して以来
70歳まで

生涯をかけて人を笑わせ続け
周りを勇気づけてくれた志村けんさん。

最後には
自らの身を呈して

「コロナ、舐めたらいかん」
「本気で食い止めろ」
「大事な人、失うぞ」

って僕たちに伝えてくれたように思えてならない。


最後の最後まで
あなたはヒーローだったよ。


志村けんさんのご冥福を祈りたい。