月の初めはまだまだ暑いと感じる日もあったのに、今は一転コートを羽織る日々です。
自販機のあったか~いにある缶コーヒーのボタンを押して、手に取ってホッとする日が多くなりました。ごきげんよう、ヘビ子です。
まだ、コートを出すなんて考えもしなかった10月の頭。
そのニュースは突然訪れました。
まさか2か月連続で、著名人の死に触れることになるなんて思わなかった。
けれども私はどうしてもこの人の死にふれたい。
2021年9月30日。
90歳で永眠された、すぎやまこういち氏に。
まず上げるとすれば、JRPGの金字塔、ドラゴンクエストシリーズの音楽を作ったひとであり、さかのぼれば昭和のヒット曲「恋のフーガ」「亜麻色の髪の乙女」等を数多く作曲、耳に残るCM曲、そしてアニメのBGM、主題歌も多く作曲している。
幅広い世代に、その名前が浸透しているのは上記のように彼がたくさんの音楽を作ってきたから。
ぴんとこない人にも、彼の作った曲を聞かせれば「これの作曲者なんだ」と納得される、偉大なる作曲家。
私がいまゲーム音楽のオーケストラコンサートに親しみ愛しているのは、まちがいなくすぎやまこういちというひとがいたからだと思っている。
そのくらい、やっぱり思い入れのあるひとだから、ここではすぎやま先生と呼ぶことにします。
ゲーム音楽のオーケストラコンサート
今では当たり前のように開催されるようになった、ゲーム音楽のオーケストラコンサート。
最近では、アニメやJ-POPのオーケストラコンサートもあるほど。
けれども、最初のころから、熱心にゲーム音楽の演奏会を開いてくれたのはドラゴンクエストのシリーズだった。
「所詮子供だまし」
ゲーム音楽、と聞くとこんなことを言う人がいまでもいるらしい。
近くにそう言う人がいないからあまり実感はないのだけど、それは現代だからとも思っている。
だって、今はかつて子供時代にその「子供だまし」に触れて育ってきた人たちが「大人」になっているからだ。
今になってもその世界を愛しているひとも多くなったのだから、「ゲーム音楽なんて」と馬鹿にする人もそういないのではないか。(いるにはいるけど)
遡って1990年代はじめ。
すでに名前の売れていたすぎやま先生すらも、「ゲーム音楽なんて」と言われたらしい。
そんな風潮の中、オーケストラコンサートを開いてくれた。
そしてその定期演奏会は今も続いている。
純粋にすごいことだ。
今も、聞こうと思えばどこかしらでその演奏会は開いているのだから。
そして、ほんの数年前まで、そのドラクエの演奏会の指揮者はすぎやまこういち先生ご自身であった。
びっくりするほどちいさな背中。けれど流れる音楽は「耳が幸せ」。
私が初めて生の舞台でそれを耳にし、肌で感じたのはちょうど10年前、2011年のこと。
第25回ファミリークラシックコンサート
~ドラゴンクエストの世界~
交響組曲「ドラゴンクエストⅦ」エデンの戦士たち
でした。
ちょうどその頃、私はゲーム音楽のオーケストラコンサートがあることを知って、アマチュア楽団でもプロ楽団でも関係なしに、色々な演奏会へ足を延ばし始めた時期でした。
演奏会を聞きに行こうときめたきっかけは、もちろん演奏内容。
ドラクエ7は私の初めてのドラクエだったのです。
石板を探して右往左往、無駄に強いエテポンゲ、転職を繰り返しレベル上げ★埋めに躍起になり、負けイベントかと思ったら倒さないといけないメディルの使い……など、上げればきりがないほどの思い出が詰まっているタイトルなのです。
オケコンで聴けるなら行くしかないっしょ!と姉を伴って一緒に行きました。
演奏会はもちろんすばらしくて、聞き終わって帰る道すがら「あの曲がこんなアレンジでなんて」とか「あの曲オーケストラで聞くとこんな感じなんだね」と感想をぶつけながらにっこにこで帰ったことを覚えています。
ゲームで聴くだけじゃない、演奏会で、オーケストラで、聞くことの素晴らしさというものを再確認し余計にのめり込んでいきました。
その後、私は別のゲーム音楽や、あらゆるゲーム音楽を集めて演奏する夢のようなオーケストラコンサートに数多く出会っていくのですが…
この、ゲーム音楽をオーケストラで、演奏会を開く、ということを当たり前にしてくれたのは、すぎやま先生だと思うから。
もし、彼がいなかったら……私は、この素敵な時間を知ることなく生きていたかもしれない、と思うのです。大げさかもしれないけれど。
10年前に買った本
さて、時は今現在からすこし遡り、私がすぎやま先生の訃報を目にしたその日の夜。
家に帰って本棚を漁り、私は一冊の本を取り出しました。
この本は、10年前に買った本。
買ってから数度読み、それからずっと、本棚で寝ていた。
改めて読むと、やっぱり面白くて、そして濃い人生を送られてきたことを知る。
なんてったってもう10年前の本だから、読んだことを忘れているのです。
だけど、もちろん端々では覚えていて、特に印象的な言葉がいくつかあります。
有名なエピソードなのでご存知の方もいらっしゃると思いますが、共に懐かしんでください。
5分+それまでの人生
ドラゴンクエスト、といえばこの曲。
「序曲」は、今から35年前、1986年5月27日に発売されたドラゴンクエスト第一作目に使用された曲で、それ以降、特徴的なファンファーレがずっと今もシリーズ作には使用されている。
この序曲、作曲当時「たったの5分」で作られたという。
さすがに盛ってないか?という話だが、インタビュー記事を元にすればそうなのだという。
基本のメロディーは、5分でこの世に生まれた。
この曲について、すぎやま先生は
「5分と80年で出来た曲だ」
(80年の部分はインタビュー回答当時の年齢)
と言うのだそう。
この言葉のもとは、世界的な画家のパブロ・ピカソ。
カフェでたまたま居合わせたピカソのファンを名乗るものが絵を描いてと強請り、ピカソはこれを快諾、30秒で描いた絵を100万ドルだと言い渡そうとすると「高すぎる、30秒で描いた絵なのに」とファンが渋った。するとピカソは「この絵は30分プラス80年で描かれた絵だ」と言った…という話があるという。
この言葉は、私はすぎやまこういち先生の言葉として、自分に刻み込まれている言葉だった。
何事も、成功しているひとはその「成功」にだけ目が行きがちだ。
けれども何かを成し遂げた人というのは、うらやましがる人の何倍も、何十倍も、何百倍も、努力や勉強や試行錯誤や挫折を重ねているのだ。
ただ、見えないだけで。
だから、ドラクエの「序曲」の作曲で言えば、それまでの人生の経験が無かったら、「ひねり出せなかった5分」なのだと私は思っている。
誰かを「羨ましい」と思った時、「あの人とは才能が違う」と思った時、悔しいと思いながら、けれど私は「あの羨ましい人と同じだけの努力を、果たしてしてきたのだろうか」といつも顧みる。
その都度、学ぶ機会を与えてくれる素晴らしい言葉だと思って、きっと一生胸に刻まれている言葉のひとつ。
5分と、これまでの人生。
今では、胸を張ってそう言えるものをつくることも、多少は出来ているのですぎやま先生に感謝したい。
音楽は心のタイムマシーン
以前、聖剣3のコンサートのお話を書いた時にも触れた言葉ですが……
ちょっと以前の記事で書いたものとはニュアンスが違ったので訂正したいと思います。根っこの部分は変わらないと思いますけれど。
すぎやま先生の言葉で書くと
「音楽は心のタイムマシーンです」
「音楽は心の応援団です」
「音楽は心の貯金です」
自分の思い出の音楽を聞くと、その時の情景が目に浮かぶ……懐かしさに顔をほころばせる。
時代のヒット曲ならば、「この時恋人と聞いたなあ」という思い出が、ゲーム音楽なら「この時のボスが強かった」という思い出が、瞬時によみがえるからすぎやま先生はタイムマシーンと称した。
「応援団」は落ち込んだとき、音楽から力を貰うことが出来るから。
「貯金」は音楽で体験した感動を積み重ね、感受性を豊かにしていくから。
音楽につつまれ、音楽を愛し、そして音楽に愛されたすぎやま先生らしい言葉だと、つくづく思う。
そしてそんなひとから生まれた音楽だから、私は、私たちは、ドラクエの音楽を愛しているのだと思う。
音楽に世界を表す力があることを単体として理解させてくれたのは、ドラクエの音楽だと思っている。
ドラクエの「お城」の音楽を聞くとそれが如実に分かるのではないだろうか。
「これはお城の曲です」
と言われると、納得するメロディーではないだろうか。
背筋を伸ばしてよそ行きの顔をして、おしとやかに笑いつつ毛足の長い赤い絨毯の上を優雅に楚々と歩く……そんな空気を感じる。
これはどのシリーズを聞いても一貫していて、「めっちゃ城!」と叫んだことがある。
他にも、これはドラクエ7プレイ当時の思い出も多分に含みますが、ドラクエ7というのは最初は小さな島から始まり、島の遺跡で不思議な石板のかけらを集めて合わせると、なんと過去に飛ぶというものなんです。
その過去でその村や島、町が無くなってしまった原因を解決してまた現代に戻ると、なんとその過去で救った村や町、島が出現している、というストーリー展開なのです、それを何度も繰り返して、世界地図が広がっていくのですが、大抵は過去に着いたばかりの頃、BGMはいかにも「悲しいことがありました…」と語り掛けてくるのがよくわかる悲壮なものなのです。
しかし、話を進めていくうちにとても明るいBGMの町に着くことがあります。
村人たちは皆笑顔、「なんでこの村は現代では無くなってしまっているんだろう?」と疑問に思うと…まあこれから事件が起こるというタイミングだから、という話で、つまり過去の滞在時間が長い、そのストーリーが長いことを音楽で一瞬で悟ってしまうのです。
だから、いそいそと石板を集めて過去に飛んで町に入った瞬間にポップなあかる~い曲調だと、「げ、ここ長い」と気づいてしまう。
それくらい、音楽は説得力を持たせる力があるんだ、と気づいた時が、私がゲーム音楽に特に関心をよせた瞬間だったように思います。
いえ、気が付いたらCDを買いコンサートに出かけ演奏会開催を願うメールお手紙その他もろもろを送るようになるという変化をしていただけなんですけど。
でもこうして、いくらでも話したくなってしまう。
「ドラクエの曲で何が好き?」と聞けば、一時間は軽くしゃべり続けられてしまうだろう。
わが心のタイムマシーン。
コントローラーを握っていた「あの頃」へ、一瞬でダイブできる旅路の友。
プレイしたことがある人にはかたっぱしから聞いてみたい。
あなたの好きなドラクエ曲は、なんですか?
自分の葬式に流すならこの曲が良い
今回、すぎやま先生の死にふれて、いつだったか友人たちと自分の葬式に流すんだったら何の曲がいいか、というどうしようもない話をしたことを思い出した。
私はその時、迷わず「おおぞらをとぶ」で出棺してほしい、と言った。
この曲はドラクエ3、そしてドラクエ8で聞くことが出来る。(あと11でも?私のドラクエが8で止まっている…)
ラーミア、またはレティス(魂)とともに空を飛んでワールドマップを移動する際に流れる曲だ。
プレイをしたことがある人なら、いまその脳内に曲が流れたんじゃないだろうか。
風を切るようなメロディー、静かな笛の音と遠くから打ち寄せる波のように重なるシンバル。
3をプレイした人には3音のピコピコした音で、8をプレイした人やオーケストラで親しんだ人にはハープの音色やホルンが聞こえるだろうか。
遙か上空を飛翔する音楽にふさわしい、広い、広い…どこまでも広い音楽。
自分の葬式の話なんて終活を視野に入れている人くらいしか言わないだろうか?
でも先述の本でも、対談記事の載っていた東京都交響楽団のおひとりも口にされていたので、話したことのあるひとも「私だけじゃない」と言い切れるのだけど、その方が上げていたのはドラクエ8の「神秘なる塔」。
もの悲しく、けれど荘厳で、かつての繁栄を静かに語るような音楽。今は崩れた建物の壁だったものから雨露がピチャン、と跳ねる様子を拾ったような音がときたま耳に入る。
この曲に限ったことじゃないけれど、とても奥行がある音楽は狭いはずの画面の中を無限に広げてくれた。
私はゲームBGMで、テレビ画面に映っているもの以上の世界を広げて貰えた。
それは私の脳が見た世界で、だれにも邪魔されない、私だけの体験である。
題名のない音楽会
10月23日、この日、予定を変更してすぎやまこういち先生の特集が放送された。
「序曲」からはじまり、「そして、伝説へ…」で終わる。
まるで、一足先のお別れ会のような構成。
この時にすごく久しぶりに、すぎやま先生のお話されている姿を拝見して、「そうそう、この柔らかいお話しされる姿!」と過去訪れた演奏会での姿を思い出し懐かしんだ。
あっという間の30分。
見終わった時に自然と深い、深いため息が漏れた。
逝ってしまったなあ。
当たり前のことだけど、知っているはずなのにまだ抵抗している部分が心のどこかにあって。
けれど、題名のない音楽会を見てからじわりじわりとすぎやま先生の死が、ほんの少しなじんだ。
今は天上の音楽を奏でていらっしゃるのでしょうか。
いつか上に行ったときには、ぜひ聞かせてください、すぎやま先生。
それまでは、自分の人生として、この道、わが旅を全うすることにします。
月並みな言葉ですが、素晴らしい音楽を、異世界の風を、ドラクエの空気を、作ってくださってありがとうございました。
どうして生きてるうちに伝えなかったのかな。
デザイナー。趣味は博物館ぶらつき、演劇鑑賞。各種遠征もするタイプ。
ここ数年で息をするようにグッズを買う癖がついてしまった。
イイですよね。
おおぞらをとぶは時代を超えた最高傑作ですねー。
今聞いても切なくて、涙が出てきます。
私はDQは3までしかプレイしていないですが、、
あの3音のピコピコが良かった。
音色が少ないからこそ
無限の可能性を感じさせてくれたのだと思います。
たった一つの音色でも
宇宙を感じさせるほどの壮大さは
バッハのオルガン曲と同じだと思います。
すぎやまこういちさんのご冥福をお祈りします。
ヴァン・ヘイレンとチャーリー・ワッツ氏も。。
ルナさんは3の世代ですか~~~!!音の色が違うだけでも多用な楽しみ方も出来ますし、世代も超えて同じものを「良い」と言いあえるのって素敵です。
音楽って不思議ですよね…
年々偉大な先人がどんどん亡くなっていきますね…仕方が無いこととはいえやはり寂しいものですが、安らかにお眠りくださいとともに祈りたいと思います…