広げられた風呂敷のきれいな畳み方が見事過ぎるミステリーアニメ「オッドタクシー」が面白すぎておすすめしたくなった

動画サブスク全盛期。今更ながらアマプラ会員になったヘビ子です。ごきげんよう。

これまでもとあるアニメのヘビロテ用に別のサブスクを契約していたこともあるのですが、それも一時期を過ぎるとまったく利用しなくなり解約したという過去があります。

そんなわけでしばらく疎遠だった動画配信サービス……

ですが、なんとなく、理由らしい理由もないまま私はプライム会員になったのです。

検索すると溢れるように様々なドラマ、映画、アニメ、ドキュメンタリー……全部なんてとうてい見れないけれど、検索するだけで「気になってはいたけどなんだかんだ見ていなかった」作品がこれでもかと出てきてウォッチリストが埋まっていきます。

その中で今回本当に何気なく見始めたとあるアニメ。

今月頭に特集記事が出ていてなんとなく気になったタイトル。

それが「オッドタクシー」

前情報も何もない状態で流したら、とんでもない目にあった作品でした。

よくある擬人化アニメだと思ってた

主人公はどこか達観した、感情の温度の低いセイウチの姿をした41歳独身男性の、タクシー運転手、小戸川(おどかわ)。

開始早々で、なんとなく訳あり乗客とのハートフル系オムニバスか?と立てた予想はすぐに裏切られることになる。
飛び込んでくる「練馬区の女子高生失踪事件」のニュース。
1話ラストで小戸川がそれに関わっているのではないかという疑惑で次の話へ。

1話が終わるころには理解する。
「わかんないこと多すぎない?」ということ。

思い返すと、1話の記憶はひどくおぼろげだ。

「多分これはきっと後々に明かされるんだろう」というピースはたくさん、これでもか、と出てくるというのに、「この話は、一体何だろう?」という思いでいっぱいになった。

更にこのアニメは、もしリアルタイム視聴をしていたら、序盤で脱落してしまう視聴者が多かっただろうな、とも思った。

正直に言って私は6話あたりまで、時には早送りをして見ていた。

見てられなかったのだ。
登場人物が「絶対にこのあとひどい目にあうやつじゃん」という挙動をこれでもかと繰り返すから。

共感性羞恥、というものをご存じだろうか。

>他人が失敗したり、恥をかいたりしている様子、もしくはそうなりそうな様子を見たとき、自分まで恥ずかしい気持ちになる現象
https://news.yahoo.co.jp/articles/1ab792b74cc7b721a7ff96e24badce5cae1ebf7b

簡単にいうとこういうもの。

私はたとえば物語の登場人物が何か失敗をした時、失敗しそうだと予想出来る時、大きな勘違いを持ったまま行動している時、強く羞恥心を持ってしまう。

そしてその羞恥心は私に「見ることをやめさせる」行動に移すのだ。

今回は自分が携帯で見ていたから再生を一時停止して別のものを見たり、最終的には早送りをして飛ばしてしまったりした。

具体的に言えば5話のディナーのシーンだ。あそこはもう無理が過ぎてスキップしてしまった。

他にも、誰かと見ているときに同じような状態に陥った場合は最悪その場を離れるくらいに「見ていられなくなる」。

もし仮に、誰かとこのアニメを一緒に見ていたとしたら「その場を離れる」くらいに「見ていられない」アニメだった。
だから普段の私であれば、ただ見ているのがつらいアニメだったら、きっと見るのをやめてしまっていただろう。

では、なぜ私はそこまで「ただ見るだけがつらい」状態であっても見続けたのか。

理由は単純。

「答えが知りたい」

という気持ちが勝ったのだ。

このお話は本当にうまくできていて、同じ時間を幾人もの登場人物たちのそれぞれの行動が重なり、重なり、重なり、のちに大きなうねりとなる。

例えどれだけ登場人物たちの行動を恥ずかしく思い、見るに堪えないやらかしをしていても、私は「知りたかった」のだ。
その先に答えがきっと用意されているということを、話の流れで感じ取っていたから。

ときたまフラッシュバックするように流れる過去の断片的なシーンはどういうことなのか?

このままでは落ちるところまで落ちるしかないこのキャラはどうなってしまうのか?

あの事件は結局どういうことなのか?

では誰が犯人なのか?

主人公が家に置いているらしい人物は誰なのか?

エトセトラ、エトセトラ。

答えを知りたいもののフックが多すぎて、ほんの小さなこの些細な会話すら何かの伏線なのではないかと疑い、のめり込んでしまう。

だから私は見づらくとも見ることをやめたかった。

そして。
その苦しさは6話を過ぎると何もなくなる。

オッドタクシーは6話まではジェットコースターの上り坂。
カッカッカ……とゆったり登って来るべき落下のために登るあの坂だ。

7話からは落ちるだけ。
それまでにちりばめられたものたちが徐々にスピードを帯びて終息へ向かっていく。

ありえん、ありえん、ありえん。

それまでの苦しさが無かったことになる、世界がくるっと反転して「頼む早くネタバラシしてくれ」と次へ次へ進みたくて仕方がなくなるスピード感だった。

1クール分、13話もあるのにとてもそれだけの時間を要したとはにわかには信じがたい体感時間だった。短い、と感じた。

自分である程度「分かっていた」「推測が出来ていた」ことがつまびらかになっていくシーンはもちろんみていて「ほらね、やっぱり!」と気持ちよくなるし、けれど自分がすっかり忘れていたシーンが掘り起こされメインディッシュとして現れた時に言いようのない高揚がやってくる。

終わりまで見届けた私がまずしたことは、たえきれずTwitterでおすすめツイートを流したことだった。

人になにかを行動させてしまう力。

それを持ったアニメだった。

閉じた世界から開いた世界へと

人は何かに感動したとき、アクションを起こす。

ここで言う「感動」は「居ても立っても居られない衝動」のようなベクトルの「感動」だと仮に定義します。

少し前でも述べたように、私はこのオッドタクシーを全話完走した結果、とにかく自分の感情を吐き出したくて仕方がなくなった。

1人で見ていた閉じた世界から、このお話を誰かと共有したいという開いた世界へと。

元来私は人になにかを勧めるときに、およそ理性とは真反対の行動を起こしてしまいがちだ。

すなわち、押し付けである。

「めちゃくちゃ面白かったから見て!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(クソデカ大声)」

としか言えない呪いにかかっている。
いや、自覚はしているので直して行きたいとは思っているのだけど。

けれどもひとたび感情が高ぶると

「最高………………………………………」

しか言えなくなる語彙無し亡霊になってしまうのだ。

それゆえに、誰かになにかを見てもらおうとする場合は、たとえ「外からの干渉ではなく内からの衝動を引き起こすのがいかに効果的である」と知っていても押し付けしか出来ないのです……

だって今すぐ!!そうなうで!!私はそのおすすめしたい作品に衝動で動かされているから。

元来人になにかを進めるということは、その結果行動してもらうことがゴールなので戦略を練るべきなのだ。

おすすめしたい人の好みのキャラクターないし展開が用意されているか?

気になるフックを簡単に飲み込みやすく説明ができるか?

興味を引ける殺し文句があるか?

などなど。

そう冷静に考えれば出来ることはあるのだが、いかんせん衝動が……全部吹っ飛ばして「最高だから見てくれよおおおおおお」とめちゃくちゃに雑なことしか言えなくなってしまう。だって最高なので……この言い回しって便利。

ところでなんで人って自分に衝撃が走ったものについて共有したくなるんだろう。

私の場合、であるけれど、このアニメを見終わった時、このアニメを見た誰かと「答え合わせ」がしたくなった。

あの伏線にいつ気づいたのか?

このまとめ方ってどういう意味だと思う?

話を見終わってみてあの台詞が私にはすごく印象深くて……

そんな話をして「わかる」や「いや自分はこういう見方をして…」というキャッチボールをしたくてたまらなくなった。

だから、見てほしい、という衝動がでかくなった。

「話を聞いてもらいたいならそのまま話せば?」

と思う人もいるだろう。

だけれども、私はネタバレをしたくない。
自分がネタバレなしで、お話に出会いたい質だからだ。

信じられないことだが、世の中にはネタバレを踏まえたうえで作品に触れることに特になにも思わない人というのがいるらしいけれど、私はネタバレはしてほしくないししたくない。

烏滸がましいことだけど、新規で触れるものには新規で触れたからこその衝撃を味わってもらいたいから。
それはどんな作品でもずっと根っこの部分で揺るがせたくないものだ。

だから、話がどうのこうの、こういった考察が云々……と言おうと思えばいくらでも出てくるけれど、特にこのオッドタクシーは前情報無しで無防備に見てラストシーンで鳥肌立って欲しい作品なのだ。

私はこの話のラストシーンが大好きだ。

それまで私は「忘れてはいけないもの」を「忘れていた」けど「それも綺麗に最後に皿にのせて来た」のだ。

タクシーに乗る時、それはとてもささいな動作。
手を上げ横づけされた車体に開いたドア。体を滑り込ませてドアが閉まると同時くらいに行先を告げる、車は動き出す。

それだけの動作。

でもそれが少しだけぞっとする体験になる。
……かもしれない。

たとえば何かの事件の始まりであったりする、とか。

最初から騙してくる物語をどれだけ見破れるのか?

何度でも言いたいのだけれど、この作品は、最初から緻密に少しずつピースを綺麗にまいている。
本当に「最初」から、この作品はだましてくる。

その「騙し」がひっくり返った時。

きっと言いようのない高揚と、「面白い作品を見た」という満足感が満ちるだろう。

年末年始でふと「何か見ようかな」と思った時、オッドタクシーを候補に入れてもらえれば嬉しく思います。

「答え合わせ」がしたくなったらどうぞお気軽に声をかけてくださいね。

そしてこのオッドタクシーはなんと来年に映画化が決定。

ぜひスクリーンでも、楽しまれるところまではまってくれますように。

来年も自分が驚けるお話に出会えますように。

それではみなさま、良いお年を。

1件のコメントがあります。

  1. ワ……ッ!視聴済みの方がいた……!
    そう、そうなんですよね、同じく後から追った組の友人にもそれおすすめされてて。
    1周だけでもすごいのに何周もさせてしまうODDTAXIやばですね……
    まだ履修が済んでいないんですが近々聞いてから2週目見てみます……!

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