【考察】シン・エヴァンゲリオンを見て「1つの真理」を見つけたこと

こんにちは。イケミーです。

先日、ついに動画配信がスタートした

「シン・エヴァンゲリオン」

を早速みました。

(という記事を書こうとしていたのに、記事公開が遅れてしまって10月・・・(笑))

思えばエヴァンゲリオンを最初に見たのは小学生の時。

まだVHS主流だった頃に、

レンタルビデオ店で見つけた「ロボットっぽい何か」

「なんかかっこいい」という理由でレンタルしたそのビデオを見て、

「なんかよくわからないけど凄い!!」と思ったのを覚えています。

シリーズ開始から25年だったらしいですが、

ある意味良い終わり方だったんじゃないかなと思います。

そして、今回僕・・・・

シン・エヴァンゲリオンを見た結果、

ある真実にたどり着いてしまったんです。

今日はそのことをこの記事でシェアできればと思います。

■実はタイトルは釣りです。

さて、今回の記事、タイトルが「【【考察】シン・エヴァンゲリオンを見て「1つの真理」を見つけたこと」になっていると思いますが、

実は釣りです。

今回の記事はシン・エヴァンゲリオンを見た感想ではありません。

シン・エヴァンゲリオン本編のお話ではなく、シン・エヴァンゲリオンの公開後にNHKで放送された

「さようなら全てのエヴァンゲリオン 庵野秀明の1214日」

という劇場版公開まで監督:庵野秀明を追ったドキュメンタリー番組をみた感想となります。

ですので、

この記事にはシン・エヴァンゲリオンの内容はほぼ含まれません。

この記事にはネタバレ要素はほぼありません。(笑)

このタイトルにした理由は、その方が引きがあると思ったからです。(笑)

ご容赦を。

さて、茶番はここまでにして、内容に入っていきます。

■「さようなら全てのエヴァンゲリオン 庵野秀明の1214日」を見て

「さようなら全てのエヴァンゲリオン 庵野秀明の1214日」は、

『エヴァンゲリオン』シリーズ総監督・庵野秀明を追ったドキュメンタリー番組です。

元々は、NHKで放送された「プロフェッショナル仕事の流儀」をベースにしていて、そこに追加映像やインタビューを加えて100分まで拡大されたのが、この当該ドキュメンタリーとなります。

この番組では、実際にシン・エヴァンゲリオンを制作していく過程や庵野秀明監督の内に秘める葛藤や、制作チームが庵野監督に振り回される様子など、シン・エヴァンゲリオンが出来上がるまでのドラマを知ることが出来ます。

その中で如実に描かれているのが「庵野監督のエゴイストぶり」です。

正しくは「作品至上主義っぷり」とも言えます。

例えば、会議で集まってもほぼ発言をしない庵野秀明。様々なアイディアが考案されても、ほぼ喋らずただ静観するだけ。

それに対してCGスタッフは「もう少し明確な支持があると早いんだけどな」という発言をしていたり。

「アイディア結構出ていますが、この中で仮に進めるとしたらどれですか?」と質問されたときも「いや、分かんない」と、たった一言だけ。

皆から集まったアイディアを出しても、オッケーとも言わず、ダメとも言わず。

スタッフは口々に「右にいけば良いのか、左に行けば良いのかも分からない」と愚痴をこぼす。

それは本編中で「エヴァンゲリオンあるある」という言葉で表現されていて、

おそらく庵野監督は普段からそういう作り方をしているんだろうなと見て取れます。

その後も、実際にアニメなどでは制作のキモになる「絵コンテ」を途中で廃止し、

新しいシステムを導入したり。

作成していたシナリオを途中で一変させ、それまで制作していたものをすべて作り直しにしたり。

庵野監督に振り回されるスタッフの苦悩が描かれ続けています。

スタッフからは「終わらなくても良いんじゃないか。終わることだけが正義じゃない」というような意見が出てきたり、

「産みの苦しみ」という一言では済ませきれない、制作側の苦悩が見えてきます。

もちろん作為的にドキュメンタリーを、そう見えるように作ってる部分もあります。

そういった中で、

絵コンテ案とイメージボードを担当する樋口真嗣さんから発せられた言葉が、

そのエヴァンゲリオン制作における

「1つの重大なキモ」になっているのだと思いました。





ああじゃない こうじゃないっていう中で
こうじゃないものの死屍累々とした屍が

本当はこうだっていう形を浮かび上がらせるわけよ

そのために破片で満たさなきゃいけないわけ

毎回毎回

「さようなら全てのエヴァンゲリオン 庵野秀明の1214日から─

これです。

この一言が、割と衝撃的なんですよね。

庵野監督が会議で喋らないのも、スタッフに聞かれて「分からない」と答えるのも、明確な指示を出さないのも、そして急激な変更を何度もかけるのも、

すべて「こうじゃない」という屍を生み出すためであり、

いわゆる「失敗案」「ボツ案」を生み出す価値を知っているからこそなんだと思いました。

「失敗は成功の元」という言葉が昔からありますが、

これは挫折し、そこで立ち上がる事で、より成功に近づくというニュアンスで使われる事が多い印象です。

ただ、そうじゃなく1つのものを作り出す過程では、

「成功」を一発で生み出すことなんて、不可能で、

多くの失敗を積み重ねて、

そうじゃないを消し去っていき、

そして、最終的に「こうだ」というものを見つける。

文字にしてみるとそこまで大した事ではないように思えるのですが、

このドキュメンタリーの中で、一番感銘を受けた部分でした。

仕事でもそう、日常でもそう、何事でも、きっとそう。

失敗に価値はない。

という言葉は、一部正解で、一部間違っているのだと思います。

失敗が価値を生まないのは、失敗を失敗のまま終わらせるからだと思う。

そして、失敗を失敗のまま、勝負を行ったからだと思う。

そこに生まれる価値は1つもないというのは、

それは間違いない事実だと僕は思います。

ただ、失敗は成功を生む。

逆に考えると「成功のためには、どれだけ失敗を積み重ねたか」ということにもなる。

そして大事なのは、

本気で生み出した失敗

というものにあるんだろうなと、このドキュメンタリーを見て感じました。

これが「1つの真理」なんだろうと思います。

僕もブログ記事を生み出すために、

多くの失敗作を生み出しても、書き続けようと思います。

がんばります(笑)