100日後に死ぬワニの100日目を体感した私の話

とあるワニの死を多くの人間が見守っていた。

皆さんは「100日後に死ぬワニ」を知っていますか?
Twitterで2019年の12月から毎日更新されていた4コマ漫画です。
話題になっていたので知っている方は多いと思いますが一応……

※以下記事は結末までをネタバレしているので最初に自分の目で確かめたい方は以下のまとめからどうぞ。↓

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1912/29/news029.html

この漫画の連載は、毎回の投稿のいいね・RTの多さを見ればどのくらい注目されていたか容易に分かるかと思います。
毎回毎回十何万ものいいね、数万のRTが付くって少なくとも私は見たことが無い。純粋にすごいことと言えるでしょう。数万のいいね・RTが単発で出ることはあっても、連続で、長期間続いているというのは有名アーティストのツイッターくらいじゃないだろうか。
100日目に至っては現在見た時点で76万RT、222万のいいねがついている。

それだけ注目されていた、とあるワニの100日間。
中にはみんなで死を見守るのが悪趣味だと言っていた人もいた。注目される分母が増えるほど意見はごった煮されて様々な視点が追加されていく。
議論を交わしているもの、考察するもの、ワニくんしなないでというもの、おっそろそろワニが死ぬぞ、とわくもの……ポジティブもネガティブも全部含めて、みな、それだけワニの死を見ていた。

タイトルから盛大なネタバレ

私がワニの行く末を見るようになったのは2020年になってからでした。
きっかけは覚えていませんがもうタイトル見ただけである意味気になる。
100日後に死ぬ、とタイトルに入っててご丁寧に4コマ漫画の一番最後に死まであと〇日と書かれているのだ。
だというのに内容は日常のなんてことないシーンでそれが余計に彼の行く末をメタ的に知っている読者に「あああああ」といううまく言葉に出来ない、やるせなさや切なさを連れてくる。
「この漫画の続き楽しみ~~!最後どうなるんだろー!」とウキウキわくわくしているワニを見て「でもお前発売を待たずに死ぬんだろ」という現実が襲ってくる感じ、ワニ自身は死ぬことを知らないけど私たちは知ってる。
だってタイトル、おいタイトル!!

でもこのタイトルがまずフックとしてとても優秀だと思います。
かつ設定はとても汎用性が高く、シンプルながら……というよりシンプルだからこそ良いですよね。
タイトルが気を引くものであり、しかし内容がそれとはかけ離れている。見事なギャップです。
死と日常。
よく考えればそれって当たり前のことなのに、私たちは日常でそんなに死のことを考えません。
このままいくと老後に最低でも2000万円必要だからそれをためるにはどうすればいいのかということを考えます。明日死ぬかもしれないのに。

だから、タイトルに結末があるのに、信じられないと思ってしまう。思ってしまった。

そういうところがこの話の軸でありスパイスなのではないでしょうか。

100日目の私

上記を見ると私がワニのアカウントをフォローして毎日見守っていたと思われるだろうが、私はなんだか、ワニの死を望んでいるように感じて最後までフォローが出来なかった。
でも毎日更新時間が過ぎていることに気が付くと検索して見てた。フォローすればいいのに。
そして3月20日金曜日、春分の日。ワニの100日目が来る。

彼は死んだ。

彼女も出来たし、悲しいときに励ましてくれたり一緒にバカ騒ぎが出来る友達もいるし、むしろその日はそんな仲間たちみんなで咲き誇る満開の桜の木の下、花見をする日だったのに。
死は唐突に訪れる。
それを見て私が最初に思ったのは「ああ本当に死んだ」だった。
ここまでなんだかめちゃくちゃうまくいってて、なんだかんだ「ワニくんは今までの鬱屈した自分が死んで新しい自分になりました!」みたいな終わりにすらなりそうだとどこかで思っていたから。
勝手なイメージだが、最近は〝やさしい世界〟のお話が好まれている気がしていたから。

でも死んだ。

めっちゃ死んだ。

すごく、ふつうに、本当に、ワニは100日後に死んだ。

それは今までどこか外側だと、創作物だと割り切っていたのに急に現実にやってきたような理不尽な、でもきっと私が知らないだけで世界のどこかで起こっている友人の突然の死がそこにあった。
図らずも私は疑似的に「いつか自分にふりかかるかもしれない昨日一緒に笑っていた親しい友人の突然の死」を体感した。

101日目の社会的死(仮)

そんな感じで、一つの物語としては最高の終わり方をしたと私は感じたのですけれど、100日を迎えた途端に一気に情報が流れ込んできた。

100日目が投稿されてから1時間後くらいに動画がアップされる。
アルバムみたいでちょっと泣かされる。

その後さらに

・書籍化
(むしろすでにその話アナウンスされてると思ってた)

・映画化
(どういうことだよ)

・グッズ化
(ああまあ有名になったし)

・追悼ポップアップショップ
(お、おう)

もう一気に流れ込んできた。
それまでは単純に物語に親しみ本当に死んでしまったワニを悼んでいたのに急にお金の匂いが立ち込めたのである。

Twitterの日本トレンドがぐいぐい変わり考察をしていたり感想をつぶやいていた層の声が商業展開に疑問の声を上げるツイートに押されていった。

「なるほど、こうやって炎上は起こるのか」

というのをまざまざと感じた。
それだけ注目されていたし実際お金を落とす層は確実にいる。
けれど余韻をぶち壊されたことに怒りを覚えているひとを多く見た。

先ほども書きましたが、これはやはり100日間、話題になってから見始めたならもうちょっと日数は少ないだろうけど、それだけ長く親しみを持っていた友人の死を、急に親元が語尾に草はやしてワニを売りに来たのが信じられないんだろう。
純粋なひとほどおそらく、想像もつかないくらい直線的に、ワニの死をもてあそんでいると感じたのかもしれない。ただの想像だけど。

でも、作者側の挙動だってわかる。商業展開は大事だ。お金は大事だ。だれしも霞を食って生きてはいけない。

それはわかるんだけど……しかしもうちょっと気持ちよくお金を出させてほしいと思ってしまった。

消費活動は気持ちがいいものだ。
私自身、「自分はこのコンテンツにお金をかけたいので買います!」という衝動はこれまでいくつも抱えたし実際にクレジットカードを切って来た。部屋を円盤とグッズと本で埋めたことはたくさんある。むしろ現在進行形で埋もれさせてる。
界隈特有の言い回しをすれば公式へのお布施である。お布施をすると無料でグッズがもらえる!すげー!

しかしある意味こういう場合は夢に対してお金を振りまいているので、急に現実的な裏側がちらりとでも見えてしまうととたんに夢が壊れるのである。
着ぐるみのうさちゃんがかわいいと思っても中から可愛くない人間が出てきたらもう着ぐるみのうさちゃんを見てもガワはかわいいが、可愛くない人間がチラついて大変残念な気持ちになるのだ。そこに金を払いたいと思わなくなる。

夢を見せるなら最後までちゃんと夢であってくれ。

騙されてても綺麗なら気にならないよ、人間って。

こういう時にマーケティングのことがちらつきます。
上手に顧客を躍らせてくれ、と願ってしまう。

自分で〝選んでいた〟と思っていたものが〝選ばされていた〟と気づいてしまうのは何もかもの気力をそぐ力を持っている。

だけど大成功するものって、結局浅く小銭を出す人が多ければ多いほどいいので、今回のプロモーションも果たして失敗だったのかというとどうだろうなあ、と思ってしまう。
私自身はすすんでお金を出したくないコンテンツになったけど、そこまで気にする人って案外少ないし時がたつと忘れる。
現代は以前よりもさらに情報の賞味期限が短いように感じる。だからこそ畳みかけるようなオファーだったのかもしれない。
余韻は無かったけど……と感じて消費に至る気をそがれたのはそれはつまり私の〝お気持ち〟でしかないのだ。
最終的に数字が出れば勝ちなのでそこに感情はいらない。結果だけ見ればうまみの方が大きいのかもしれない。エビデンスも何も無いただの想像止まりの考えですが。

そんなワニマーケティングだが、どこを基準にするかで評価は変わると思うけど少なくとも最大化には失敗したと言えるんじゃないだろうか。確実に購買層は減っただろうから。

100日を過ぎたらどんどん忘れられていくワニ

連載は終わってしまったけど、これからの展開が発表されたワニくん。
ファンになったひとはなんだかんだ追いかけるだろうし、もうあと2週間もすれば書籍版が発売される。
だけどこれはひとつのブームでしかなく、人間はすぐに忘れていく。
最初に掴んだ分母は大きいけれどあとはつなぎとめる何かが無いと継続的なものは見込めない。
特にこれは「100日」という時限があったからこその盛り上がりもあったはずだ。数字の力はつよい。わかりやすいから好まれる。
リアルタイムで更新される漫画に対して考察したり感想を言いあったり最後どうなるかを予想しあったり、という一種お祭りのような感覚が無くなれば自然と話題に上ることは無くなり消えていくだろう。

でも今思い返すとこれって火曜の朝学校に登校して教室入った瞬間「今週のジャンプ見た!?」っていう光景に似てたんだなあと感じます。それがネット上で起こってたっていう。

だから案外、この先の未来で「そういえばあったよねー」と話に上る存在ではあるのかもしれない。
時が過ぎてみないと分からないけど、少なくとも人生のうちの100日をひとつのことに注目して生きたというのは結構稀有な体験だと思う。

100日間、という数字は、ざっくり言い換えると一年の中の1/4と少し。三か月とちょっと。

あなたは長いと思いますか? それとも短いと思いますか。

私は「え、もう?」とも思うし「ずいぶん長く付き合ってきたなあ」とも思う。
二択を問いかけておいてなんだが、100日間というのは短くもあり、長くもある、というのが私の答えだ。

なんだかんだ、ワニのことを忘れはしても、ふとした時に「そういえば」と思い出すくらいには、心に住み着いている。

さて、ここまで読んだ方はお気づきかもしれませんが、私はこれを書き始めるまで気づいてなかったことがありました。

書いてから気が付きました。

私、ワニが死んでめちゃくちゃショックだったんだな。

4件のコメントがあります。

  1. なんかある意味学ぶことが多い事例として面白いコンテンツではありますよね(^^;

    ヘタこくとこうなるんかーてきな

    1. 注目していた人が多かったので事例としてはとても勉強になりますね~
      一か月経った今は割と失笑コンテンツになってしまっている部分もあるので、そういった意味でも興味深いですね。

  2. 素敵な感想&考察ありがと。^^
    今回の事例は「無料→有料」というステップでのマーケティングは、どんなコンテンツを扱っても「一定数批判を生む」という良い事例でしたね。
    これらの事例から「どうするべきか?」をひねり出すのが僕等の仕事ですね。^^

    1. 恐縮です!ありがとうございます!
      「無料→有料」のステップはある意味慣れ親しんでいるのに、自分に降りかかると全然見え方が違うのだなあと改めて気づきました。。
      最後の最後まで気を抜かずに「嘘っぽくても納得は出来る」ストーリーを提供するとまた違ったのかなと思った事例でもありました。
      少しの引っかかりでも気をそがれてしまう危険性があるので、のどごしさわやかなルートになったらいいなと…思います…!

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