3歳児あるあるに見る自己成長の本質

「マーケティングは創造と科学」をモットーに
結果にフォーカスしたマーケティングを研究している川村です。

我が家のモンスター3歳児は日々様々な姿を見せてくれてまして、親としては教育よりも自分が学ぶ瞬間が多いことを痛感させられておる次第でございますじゃ。

風船を体全体で潰しにかかる姿を見て、その先に何が待ち受けているのかを”知らない”って怖い(リスク高い)な~って思いつつ、同時に「知らないって強い」とも感じたり・・・

テキトーに言ってるだけだと思ってた英語を録音してネイティブの友人に聞かせたら「テキトーなとこもあるけどちゃんと話せてるところも結構あるよ」という返信がきて、あれ?すでに親越え完了しちゃった?と寂しくなったり・・・

好きとか嫌いとかの概念に先入観がないから「やってみた感想」で決定しているのが面白くて、大人が嫌いと感じる事を「楽しい雰囲気」で実践させると好きになったり(例えば掃除とか)、おもちゃ遊びを「やれ!」みたいな雰囲気でやらせるとやりたがらなかったり・・・

ホント3歳児ってオモシロイ。笑

すっかり僕の実験材料化してしまっています。良いのか悪いの分からないけど・・・汗

そんな3歳児あるあるの中から、大人にも共通する「ある事」を紹介したいと思います。多分これすげー重要な事だと思うので。

トイレットペーパー爆弾

我が家のモンスターはトイレスペース内に設置されている”オマル”にて用を足すのですが、その後トイレットペーパーをひたすらトイレに突っ込みます。ホントひたすら。大汗

トイレに投下されたトイレットペーパー爆弾が凄まじい破壊力をもって一面を埋め尽くしたら、オマルの「水洗ボタン(音が鳴るだけww)」を押して、彼の「トイレ」という一連の行動は完結するのです。

おかげでトイレットペーパーの消費量がとてつもない事になっていまして、家計への負担がどうなっているのか心配で仕方がない。^^;

写真を見せる方が分かりやすいけれど、さすがにトイレの写真とかちょっと・・・と思って自粛しましたが、それはもう莫大な量をトイレに突っ込むのです。

で、言うてもトイレトレーニングの結果として「一連の流れ」は様になってるわけです。

オムツでしかトイレ出来なかった乳児期から、トイレで出来るようになる幼児期への成長を支える根底には「真似」がある。これはトイレトレーニングだけではなく子供の成長の根底には「真似」があるわけですね。これ常識。

この「真似」という行動が非常に重要なキー。

真似から習得へ

我が家のモンスターは今はまだ真似してる「だけ」なんです。親の行動を真似してるだけだから、

「用を足したらトイレットペーパーという紙をお穴に当てて、その後トイレに放り込んで、水洗ボタンを押す」

こういう一連の流れを彼の理解の範疇で認識し、そのまま「真似」しているのが今の状況なんですね。

だからこそ、使うトイレットペーパーの量が異常に多くても気にしないし、水洗ボタンがトイレじゃなくオマルのを押して、結局流れてないじゃーん!って状況が起きていても気にしない。彼が真似している行動は正しいから。

「どういう結果を得る為に行っている行動なのか?」

その意図はまだ理解していないのです。

つまり、意図を理解して結果を得る為の行動に変化した時。その時はじめて「習得」するわけですね。真似から習得にレベルアップする。

習得から昇華、上達へ

真似という行動からスタートし、次に意図を理解して結果を得る為の行動に変化すれば習得だと言いました。

次は、その「結果」を得る為に「よりベストな行動は?」という域に突入します。分かりやすい例で言うなら、トイレットペーパーの必要量は?とかですね。

我が家のモンスターは軽く3mは使ってると思いますが、これって30cmで足りるのでは?とか。そういう事です。

ここまで来ると「真似」とは完全に決別し、自身の思考結果による「最適解」を導き出し、それに基づく行動を取っている状態です。習得から更にレベルアップした状態。上達したとか昇華したって言うアレです。

ここまで来ればオリジナリティの世界で、この一連のステップを「成長」と言うわけです。

真似で終わっていないか?

子供の行動を見ていると鮮明に理解できる「成長」というこれらの過程ですが、これが自分事になると理解できないのが大人の残念なところ。

自分自身を見ててもそうだし周りを見てもそう。ホントに残念だけど「真似」で終わってる人をよく見かけます。

マーケティングを含め「全ての事象」に当てはまるこれら成長の過程は、真似で始まるのは良いと思うのです。始まるのは。

だけど「真似のまま終わる」と自身は何も成長していない。ただの劣化版であり、下手すると余計な事してしまってるだけだったりします。

「何の為にやるのか?」という意図を正しく理解していないと習得に至らない。ここが成長しない人のハードルなんだと思います。

自分のモノにせよ!

真似するだけなら誰でもできるわけですが、真似すると大抵の場合「劣化する」のです。オリジナルよりパフォーマンスが下がる。

それは「意図を理解していない」から中途半端な結果を招くのが理由です。我が家のモンスターのように「流れてねーじゃん!ww」って結果を招くのです。

なので最初のステップは「習得」です。ここまでは真似とワンセットで出来るようになってこと大人ってもんです。これは最低限だと心得たい。

その上で「昇華」しなきゃいけないと思うのです。どうせ真似るならオリジナルを超えてナンボ。

子は親を超える事が生物としての責任(言い過ぎかw)

真似て習得して自分のモノへと昇華して、はじめて「成長」したと胸を張れる。この一連の流れを「ワンセット」だと認識出来れば、まだまだ自分は成長できるな~っと実感できて、なかなかに人生が楽しくなってきます。^^

そんな感じの事を、目の前のトイレに溢れかえらんばかりのトイレットペーパーを眺めながら「トイレの水洗ボタン」を押しつつ、ふと思ったのでした。

やっぱり親が学ぶ方が多いな・・・・・

・・・。

・・・・・・。

・・・・・・・・・。

これでトイレが詰まらなかったら「良い話」だったのに!

さすがにトイレットペーパー突っ込みすぎだっての!丸っと1個いったんじゃねーのか?大汗

くそ・・・・スッポン(ラバーカップ)買いに行かなきゃ・・・・_| ̄|○