渡部建、それを許さぬ世と非合理主義

「マーケティングは創造と科学」をモットーに、
結果にフォーカスしたマーケティングを研究している川村です。

さて、アンジャッシュ渡部建。

ネタがないわけじゃないよ(笑)
時事ネタに乗りたいわけでもないよ(大笑)

何となく「違和感」があったからテーマに選んだだけ。
 

まず・・・・・・
 

彼の行為の是非について言及する気はさらさらない。

そんなのは渡部建本人と妻の佐々木希さん、それから・・・雑に扱われつつもリベンジポルノかました女性達の三者間で話せばいい。

女性側からの証言にあるように「120%合意の元」なわけだから当然刑事事件にはならないし、佐々木希さんが「離婚しない」と言っているのであれば民事もない。

六本木ヒルズの管理会社の森ビルからすれば大問題?ん~・・・気付いてない時点で何の影響もなかったという事実が横たわってるし、ある意味で「多目的」の一環とも言えてしまう以上はこれも裁判して勝訴ってのは難しそうだ。

つまり「罪には問われない」わけだから、僕達のような外野には関係ない話である。
 

だけどこの問題には大きな大きな違和感がある。

それは・・・
 

世界はそれを許しはしねーんだぜ!

コロナ禍の影響でストレスが溜まっていた・・・というのもあるのだろうけど、それにしても今回の騒動の「叩かれよう」は尋常じゃない。

佐々木希ほどの美女を妻に持ちながらナメた事したから?
世間の今までのイメージと乖離があり過ぎたから?
相手の女性をデリヘルのように扱ったから?
多目的トイレを使ったから?

 

ハッキリ言ってしまえば「美人は三日で飽きる」なんて言葉があるように、結局のところ「顔じゃない」わけで、オイタをするかどうかに「妻のステータス」なんざ関係ないわけだ。

イメージと違ったのは「勝手な妄想」してただけで、どっかの芸人が言ってたように「昔からだから芸人仲間は誰も驚かない」という言葉通り、本人からすりゃ「勝手に期待して勝手に裏切られたと言われても…」ってのが本音だろう。

相手の女性の扱いが雑であるって点で言うならば、ある意味で「そこに愛はありませんよ」という証明にもなっているわけで、これが「不倫」という言葉を使われる事への大きな違和感の原因の1つだと言えるだろう。

法的な区分として「遊びと浮気と不倫の違い」は明記されていないので何とも言えないが、お金を払っている時点で風俗とどう違うのだろうか?と思ってしまう部分もあるのが本音。

多目的トイレについては・・・もはや本題とは何の関係もない。
 

にも関わらず、「渡部!世間はお前を許さないぜ!」とでも言わんばかりにバッシングの嵐である。
 

つまり何が言いたいか?
 

テレビ、雑誌、ラジオ、各SNSをフル活用し「とんでもない事」として日本中が大騒ぎするような話なのか?って事。

こうやって記事を書いている時点で当然だけど僕も同類なわけで、なぜこんな事になっているのか?これが違和感の正体だ。
 

別に罪でも何でもない「当事者間の問題」を、なぜメディア総出でバッシングし、SNSでさらし者にされる必要があるのか?

そんな事をしていったい誰が得をするのか?
 

そう。誰も得しないんだよね。
メリットもデメリットもどっちもない。

つまり・・・
 

合理性に欠ける国民性

ワイドショーを見てる暇があるなら、明日のお弁当の仕込みをしてる方がよっぽど有意義だ。

Twitterであーだこーだと叩いている暇があるなら明日の会議の資料を練り込んでいる方が合理的なんだよね。
 

にも関わらず、赤の他人のどうでもいい色恋沙汰に日本中が沸き上がり、メチャクチャ貴重であるはずの自分自身の「時間を浪費」してまで必死に叩いてる。

これ・・・メチャクチャ違和感でしかない。

こうなるともう「国民性」なのか「人間の性」なのか分からないけど、「そういうもの」として扱うしかないわけだ。
 

ぶっちゃけ話として、こういう「非合理主義」な側面って誰にでもある部分なんだと思うけれど、日本人の国民性として「少し行き過ぎ」だと感じる部分も多い。

今回の異常な騒がれようもしかり、日常で感じる部分もしかり。
 

「義理人情」という点が美化される文化から来るのかも知れないが、最近の「それ」は僕の目には本来の「義理人情」って文化とは違って写る。
 

合理主義か非合理主義か?

本来ならこの2つの対義で済むのだけれど、日常で感じる「違和感」はそうシンプルな話ではない。

と言うのも、今回の渡部の一件に関して言うならば、ナショナリズムとか全然関係ないし「非合理主義だから許せない」とかじゃない。

もっとシンプルに、もっと純粋な感情として「ただ文句言いたいだけ」というのが実態だろう。

これを合理性に欠けるから「非合理主義か?」と言うと違うと思うわけだ。

渡部の一件を「ただ叩いている人達」が、仮に大きな利益が伴う話があった際に、義理人情を重視するがゆえに「大金をドブに捨てる」という行為を貫くか?と問われれば疑問が残る。
 

逆に今回の一件を、「人様の色恋沙汰なんかどうでもいい」とそっぽを向いている合理的行動をとる人が、究極的な場面で義理人情を重視して非合理的な行動をとる場合だってある。

つまり何が言いたいのか?
 

あくまで僕の個人的な意見だけれど、表層的で薄っぺらい部分は合理的に、本質的で深い部分は義理人情を重視するって人の方がカッコいいと思う。

これこそ古き良き日本人の在り方だと思うわけです。
 

あくまで個人的な意見だし、そうあるべきだ!って話ではないのだけど、どうせなら僕はそうありたいと思う次第です。
 

普段の仕事の現場においても、不必要に気を使って言うべき事を言わず遠慮し合う「非合理」は生産性がないから避けたいけれど、重要な局面で自分の事しか考えないような「合理性」はもっと避けたい。

深い部分で相手を思いやり、相手の事やそれに関わる多くの人達の事を思って真剣に向き合う事を大切にしたいし、仲間の為に時間や心を投下できる人でありたいな~と思います。
 

って事で・・・

なんだかとりとめのない話になってしまったので、今日はこのへんで締めようかな。(笑)

ではまた!